漫画家・福山信

今年の夏に学生時代からの友人が亡くなりました。職業は漫画家です。本当に突然な出来事でした。

f:id:studioshin:20161005170704j:image

ペンネームは何度か変更していますが、大体は「福山パブロフ」「福山信」というペンネームで作品を描いていました。

 20代前半でデビューしてキャリアは30年近くになりますが、いわゆる売れない漫画家というやつです。とは言っても大手出版社の漫画賞で大賞や入選。ヤングサンデービッグコミックオリジナル週刊モーニングなどのメジャー誌に作品を連載や掲載しており、全くの無名漫画家というわけではありませんでした。

・プロフィールなど

http://www.studioshin.com/comic/comic.htm

 

ameblo.jp

彼は20歳すぎで上京して当時、週刊少年チャンピオンで「私立味狩り学園」を連載されていた谷上俊夫先生のところでアシスタントをしておりました。 その時に、ヤングサンデー新人賞に「メンコの砦」という戦災孤児を描いた作品で入賞して

f:id:studioshin:20161011220710j:image

同誌で 「株式会社3年4組」という初連載を持ちました。これは高校3年生がそのクラスごと会社として起業するというビジネス漫画でした。

f:id:studioshin:20161005200117j:image

その後ヤングサンデーやチャンピオン、ジャンプなどでいくつか連載や読み切り掲載し、ビッグコミックオリジナル「オッペケペ」という連載をしています。これが彼の最後の連載だったと思います。

f:id:studioshin:20161005170734j:image

その後ポツポツと読み切りを描いたり、喜国雅彦先生やいわしげ孝先生のところでアシスタントをしていたりしていました。

 彼の作風はギャグをベースにした人情物、いわゆる人情コメディーという感じでしょうか。割とメッセージ色が強い作風だったので、編集からは「説教くさい」などと言われていました。近年は時代劇や落語、政治をテーマにした漫画を描いていて、漫画家として売れたいと人一倍思っていた彼ですが、描きたいものと売れスジにズレがあったのは感じていました。しかしそれでも友人として漫画を描き続けていた彼の作品と彼自身か大好きでした。漫画の他にイラストなども何点か残しており、毎年の年賀状などで送ってくる彼のイラストが楽しみでした。

 f:id:studioshin:20161005182457j:image

彼が亡くなった後、ご家族と遺品の整理をしました。実は私はその昔、漫画を描いて出版社に持ち込みをしておりまして、上京するときは彼の部屋に厄介になっていました。(自分はその後、漫画から離れてゲームの方に行ってしまったのですが...)彼の描いたネームに意見させてもらったり、原稿を手伝ったりもしていました。

 

原稿を探したい

 そういうことなので、遺品を整理するときに彼が描いた漫画の原稿がどうなっているのか気になっていました。部屋に遺された原稿を見るとごく最近に描かれたものしかないようでしたが、私の知る限り彼はもっともっと原稿を描いていたはず。ボツ原稿がかなりの枚数あったはずです。おそらく雑誌に掲載されることなく、編集部のどこかの机に埋もれているか、処分されてしまったか。。。

彼の描いた漫画の原稿はおそらく世間では価値のないものかもしれないですが、ご家族や私や他の友人達には彼そのものなのです。

ブログで福山信について書いた理由の1つができれば福山信の原稿を回収してご家族に渡し、自分と友人たちと共にデジタルアーカイブにして保存しておきたいと考えたからです。最終的には週刊モーニングで書いていたので、そちらにあるのではないか?と思っています。連載作品の原稿などはどこかに保存されてたりするんでしょうか?

このブログを読んで福山信を知っているという方がいましたらなんでもいいのでご一報頂ければ幸いです。